2026.03.01:第75回 私の回顧録
グループ企業
〜中国仕入れ_総集編〜
出会いと挑戦の9年間を振り返って
みなさん、こんにちは。
これまでのコラムで、中国仕入れで出会った方々を一人ひとり振り返ってきました。
それぞれの顔を思い浮かべながら書いていると、単なる「仕入れの記録」ではなく、私自身の仕事人生の一章そのものだったのだと、あらためて実感します。
今回は総集編です。
2011年8月、グループ企業として仕入れを担当することになってから、2020年6月に退社するまでの約9年間。そして実際に中国を訪れた2011年から2017年までの約6年間、概ね15回にわたる出張。
数字にすればそれだけのことですが、その一つひとつの訪問の中に、緊張、期待、葛藤、達成感、そして少しの後悔が詰まっています。
今回は、その時間を少しドラマチックに、しかし事実に沿って、丁寧に振り返ってみたいと思います。
◾️ すべては2011年、激動の年から始まった
2011年。
日本にとって、忘れられない年です。
3.11という出来事が国全体に影を落とし、特に東日本は、どこか重たい空気に包まれていました。街の雰囲気も、ニュースのトーンも、人々の表情も、明るいとは言えない時期だったと記憶しています。
そんな年の8月、私はグループ企業として新たな役割を担うことになりました。
そしておそらく10月、初めての中国出張へ。
世の中が不安定なときに、海外との取引を拡大していく。
決して楽観的なスタートではありませんでした。しかし同時に、「こんな時だからこそ前に進まなければならない」という気持ちも強くありました。
あのときの覚悟が、その後の9年間の土台になったのだと思います。
◾️ 董事会への同行
〜北京での第一歩〜
最初の北京訪問は、グループ入りした会社が北京の株式を所有しており、その董事会に社長に同行したのがきっかけでした。
会議室には、日本人の出資者、香港からの出資者、そして現地の関係者。
それぞれの立場、それぞれの計算、それぞれの未来像が交錯していました。
議論は交わされるものの、必ずしも明確な結論が出るわけではない。
ビジネスとは、こうした思惑のバランスの上に成り立っているのだと、肌で感じた瞬間でした。
私はまだ“仕入れ担当”として本格的に動き出す前段階でしたが、この場の空気を吸ったことは、その後の交渉や判断に少なからず影響を与えました。
中国との関わりは、こうした国際的なビジネスの現場から始まったのです。
◾️ 年2回の仕入れサイクルという緊張感
その後は、年に2回の中国出張が恒例となりました。
1〜2月に来期の秋冬物、7〜8月に来期の春夏物。
このリズムが、私の年間スケジュールの軸になりました。
出張前は、必要数量の計算、サンプル確認、価格想定、為替動向のチェック。
現地では、朝から夜まで商談と工場訪問。
帰国後は、仕様確認、品質チェック、発注調整。
最初の頃は、年間販売数の約50%にあたる生地を中国で使用していました。
スーツ販売の半分を支えるボリューム。
単なる一部ではなく、事業の屋台骨の一角を担っていたと言えます。
「もしここが止まったらどうなるか」
その責任を常に意識しながらの出張でした。
◾️ 合弁から始まった優先取引
当初は合弁関係にあったため、関連商社Iから優先的に仕入れを行っていました。
一定の信頼関係が前提にある状態でスタートできたことは、大きな安心材料でした。
売上点数で言えば、青森のグループ縫製工場に次ぐ規模の受注。
その存在感は決して小さくありませんでした。
その後、合弁契約は解消されます。
しかし関係がすぐに途切れるわけではありませんでした。しばらくの間は、取引は継続し、一定の規模を維持していました。
契約が変わっても、人の信頼まではすぐには変わらない。
この経験は、数字や契約条件以上に、人間関係の重みを教えてくれました。
◾️ 為替80円時代という追い風
2011年当時、為替は1ドル80円前後。
今振り返れば、非常に円高の時代でした。
この為替環境は、中国仕入れにとって大きな追い風でした。
価格競争力があり、日本市場でも十分戦える条件が整っていたのです。
中国生地は低プライス中心でしたが、その価格差は明確でした。
国内縫製と組み合わせるか、中国縫製まで含めるか。
為替とコスト構造を見ながら、最適解を探る日々。
「良い時期に体験できた」
今だからこそ、そう思います。
そしてその時期だったからこそ、中国側も日本市場との取引に魅力を感じ、積極的に応じてくれていたのだと感じています。
◾️ イタリア生地への挑戦という一歩
中国生地だけで完結させるのではなく、私はもう一段上の挑戦をしました。
中国の代理店を通じて、イタリア生地を仕入れることです。
価格は、日本で仕入れるより若干安い程度。
しかし、イタリア生地を直接中国へ送り、中国で縫製することで、
「イタリア生地+日本縫製」よりも価格優位を作ることができました。
単純な安さではなく、構造の組み替え。
どこで仕入れ、どこで縫製するか。
サプライチェーン全体を設計する感覚を、この時初めて強く意識しました。
もちろん、すべてが順風満帆だったわけではありません。
品質確認や納期調整など、細かな課題は山ほどありました。
それでも、「できた」という実感は、私にとって大きな自信になりました。
◾️ 並行輸入というリスクと覚悟
他ブランドの並行輸入にも挑戦しました。
新しい可能性を模索する中での取り組みです。
しかし、日本の代理店から目を付けられることもありました。
正面からぶつかるのか、引くのか、調整するのか。
判断が求められる場面もありました。
挑戦には必ず摩擦が生まれます。
それでも、何もしなければ何も変わらない。
あの頃の緊張感は、今でも鮮明に残っています。
リスクを理解しながら一歩を踏み出す――その覚悟を学んだ時期でした。
◾️ グループ工場を守るという決断
2017年頃から、売上は徐々に鈍化していきました。
市場環境の変化、為替の変動、さまざまな要因が重なっていました。
その中で、青森のグループ縫製工場を守るために、大幅に国内シフトを進める決断をしました。
コストだけを見れば、中国仕入れを続ける選択肢もあったかもしれません。
しかし、守るべき雇用、守るべき技術、守るべき人がいる。
最終的に、中国依存度は下がり、中国離れが進んでいきました。
それは後退ではなく、守るための前進だったと、私は思っています。
◾️ 北京の歴史に触れる時間
出張の合間には、観光の時間もありました。
担当のSさんが案内してくれた、
故宮博物院、
天壇、
明の十三陵、
万里の長城。
どこへ行っても、スケールの大きさに圧倒されました。
歴史の厚みを前にすると、自分たちのビジネスの悩みが小さく感じられる瞬間もありました。
商談だけでは見えない、その国の背景を知る。
それもまた、大切な出張の一部でした。
◾️ マイナス20度の北京
冬の北京は、本当に厳しい寒さでした。
マイナス20度を経験したこともあります。
吐く息が白く凍りつくような空気。
外を歩くと頬が痛い。
それでも工場は動き、人は働いている。
暖かい部屋で交わした商談と、凍てつく外気とのコントラスト。
その環境の中で仕事を続ける現地スタッフの姿に、何度も頭が下がる思いでした。
◾️ 内モンゴル100kmの大誤算
内モンゴルの生地メーカーを訪れたときのこと。
「草原がすぐ近くだから」と言われ、午前中に見に行くことになりました。
ところが車が故障。
修理後に出発したものの、実際は100km以上離れていました。
到着したのは夕方。
織機はほとんど止まっており、「何のために来たのだろう」と正直思いました。
その日のうちに夕食を済ませ、夜の飛行機で北京へ戻る。
ハードスケジュールの極みでした。
しかし今では、その草原の広がりも、道中の会話も、すべてが懐かしい思い出です。
◾️ Yさんと北京空港の一幕
北京空港でのYさんのエピソード。
普段は穏やかな彼女が、スタッフに強い口調で抗議を始めました。
機内で「かえって遅くなったんじゃない?」と冗談めかして聞くと、
「知り合いがいるから大丈夫なの」とにっこり。
その一言に思わず苦笑い。
ビジネスパートナーの別の一面を見た瞬間でした。
緊張と笑いが入り混じる、忘れられない出来事です。
◾️ 大連と煙台で感じた歴史と規模
大連では、工場のすぐ後ろを鉄道が走っていました。
かつて満州の入り口だった歴史を思い出し、時代の流れに思いを馳せました。
さらに煙台の上場会社Nを訪れた際、その規模の大きさに圧倒されました。
中国の製造業の底力を目の当たりにした瞬間です。
規模、スピード、決断力。
日本とは異なるダイナミズムを感じました。
◾️ 出会いと別れは、すべて財産
これまで紹介してきた中国での出会い。
再会が叶わない方もいるでしょう。
それでも、あの時間は確実に私の中に残っています。
仕事の成果だけでなく、体験そのものが財産です。
中国仕入れの6年間。
グループ企業としての9年間。
あの時代があったからこそ、今の自分があります。
◾️ 次回予告
次回からは、グループ企業の中で私が関わってきた「オーダースーツチェーン店」の話をしていきます。
中国仕入れという大きな流れの中で、生地をどう調達し、どこで縫製するかを考えてきましたが、その先にあったのは「実際にお客様へ届ける現場」でした。
オーダースーツチェーン店は、単なる販売店舗ではありません。採寸という一瞬の緊張感、接客の温度感、そして一着に込められる期待。そこには既製服とはまったく異なる世界が広がっていました。
グループ企業としてどのような戦略で展開していったのか。
価格帯はどう設計したのか。
中国仕入れとの連動はどのように考えていたのか。
現場の葛藤や成功、そして課題とは何だったのか。
仕入れという“裏側”から見てきた私が、今度は“表側”であるオーダースーツチェーンの現実を、できる限り率直にお伝えしていきます。
華やかに見える業態の裏で、どんな判断があり、どんな努力があったのか。
数字だけでは語れない、人と人とのドラマも含めて振り返っていきたいと思います。
どうぞ、次回からの新章もお付き合いください。