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Textile Industry Column糸偏コラム:自由な視点
私の回顧録

2026.02.28:第74回 私の回顧録

グループ企業
〜中国仕入れで知り合った方々6〜

みなさん、こんにちは。

中国仕入れで出会った方々を書き続けてきましたが、今回で一区切りになります。 最後に紹介したいのは、北京の縫製工場で長年サブ担当を務めていたMさんです。

正直に言えば、最初の印象はほとんど残っていません。 強烈な個性があったわけでも、豪快に笑うタイプでもない。 主担当が前面に立ち、私はその方と打ち合わせを重ねていたため、Mさんとは挨拶を交わす程度でした。

それでも、振り返ると一番電話をした相手は、もしかするとMさんだったかもしれません。

Mさん

◾️ 北京中心地から70kmの工場

〜期待を乗せたスタート〜

工場は北京の中心地から70〜80km離れた郊外にありました。 近くにはスキー場もあるエリアです。冬になると空気は乾き、どこか冷たく澄んだ景色が広がります。

初めて訪れたときの印象は、とにかく「大きい」ということでした。 建物の規模、人の数、作業ラインの長さ。 日本の縫製工場とはスケールが違う。

中に入ると、たくさんの工員がミシンに向かっていました。 一定のリズムで鳴り続ける縫製音。 人の動きは忙しく、けれどどこか整然としている。 その空間の中に、私は一人の管理者として立っていました。


◾️ 主担当の影にいた“サブ”

〜形が変わっても関係は続く〜

Mさんは、主担当の横にいる存在でした。 打ち合わせの場ではあまり前に出ない。 現場との繋ぎ役ではあるけれど、私と直接深く話す機会はほとんどありませんでした。

日本語は堪能でした。 後から聞いた話では、日本語能力試験N1を取得しているとのこと。 ただ、当時の貿易部ではN1保持者は珍しくなく、「そういうものなのだろう」と受け止めていました。

さらに後年、彼がグループ企業である青森の縫製工場で2年以上研修していたと知ります。 その時の研修生4人のうち、今も残っているのはMさん一人だと聞きました。

その事実を知ったとき、私は心の中で「ありがとう。頑張ったね」と呟いていました。


縁の下の力持ち

◾️ 電話で始まる一日

私とMさんの関係は、電話でした。

出荷明細が送られてきたとき、納期が迫っている商品については、こちらから確認を入れます。 するとMさんは個別に調べ、折り返し連絡をくれる。

ただし「個別」なので時間がかかる。 その待ち時間が、いつも長く感じられました。

「間に合いません」

その言葉を聞く瞬間の、胃の奥が冷える感覚。 焦っても仕方がない。 電話を切ると、すぐに店舗へ連絡します。

まずは事実確認。 そして、お客様の優先順位を聞き、どこまで待てるのかを整理する。

私は管理者でした。 工場・社内・店舗の間に立つ立場です。 板挟みと言えばそうかもしれませんが、実際には「整理役」に近い。


◾️ 急げではなく、いつできるか

若い頃の私は、ただ「急いでください」と言っていたと思います。 しかし、あるとき気づきました。

急がせることと、間に合わせることは違う。

重要なのは、「いつならできるのか」を確認すること。 そして、その日付を基準に優先順位を組み直すこと。

店舗にデッドラインを伝え、必要ならお客様にも説明する。 再度Mさんに連絡し、優先順位を明確に伝える。

感情ではなく、現実を整える。 それが私の仕事でした。


◾️ 仕様ミスという現実

最終検品で生地の傷が見つかる。 仕様ミスが判明する。 作り替えになる。

価格重視の時代でした。 しかし本来は、品質が担保されてこその価格競争力です。

中国生産を取り巻く環境も変わっていました。 工賃は年々上がり、値上げ要請も何度もありました。

そのたびに数字と向き合い、調整を重ねる。 けれど現場で縫っているのは人であり、管理しているのも人です。


◾️ 青森と北京

CAD作成は青森。 北京は裁断・縫製・検品。 企画は店舗。

役割は明確でしたが、距離は遠い。 物理的距離と、時に生じる感覚の距離。

その間に立っていたのがMさんでした。

橋渡し

◾️ 必要だったという感覚

当時、中国生産に対して「信頼か不安か」と問われれば、私は「必要だった」と答えます。

理想論ではなく、現実として。 コスト構造、市場価格、供給量。 すべてを考えれば、中国生産は不可欠でした。

そこで大切だったのは、押し付けることではなく、共有することでした。

言葉はシンプルでも、その裏には多くの調整があります。

彼は現場と私の橋渡し役でした。 そして気づけば、私もまた店舗と工場の橋渡し役になっていました。


◾️ 電話の向こう側

印象に残らない人。 派手ではない人。 けれど、一番やり取りをした人。

電話口の声は、その時々で違いました。 焦り、冷静さ、申し訳なさ。

私もまた、声のトーンを整えていたのだと思います。

焦りをそのままぶつけても、何も前に進まない。 必要なのは、現実を受け止め、次の一手を決めること。

あの北京の郊外の工場で、 たくさんのミシンが動き続けていたように、 私たちもまた動き続けていました。


◾️ 今振り返って

中国仕入れで出会った方々を書いてきました。 豪快な人もいれば、印象的な人もいました。

けれど最後に思い出すのは、 電話の向こう側にいた、静かな調整役です。

青森で学び、日本語を覚え、 現場を支え続けた人。

私はあの頃よりも、少しは成長したでしょうか。 急げと言うだけの管理者から、 「いつできるか」を考える調整役へ。

もしそうなれているのなら、 それは間違いなく、 北京70kmの場所で電話をかけ続けてくれた Mさんのおかげです。

目立たない人が、現場を支えている。

その事実を、私はあの電話のやり取りの中で学びました。

中国仕入れで知り合った方々の紹介は、これで一区切りです。 けれど、あの工場の音と、電話越しの声は、 今も私の中で静かに続いています。


◾️ 次回予告

これまで6回にわたり、中国仕入れで知り合った方々を紹介してきました。 それぞれの現場に、それぞれの立場があり、そこには必ず「人」の物語がありました。

次回は、その集大成として―― 中国仕入れ 総集編をお届けします。

出会った方々のことを振り返りながら、 私自身が中国仕入れから何を得たのか。 そして、もし時間を巻き戻せるなら、どんな選択を変えたいのか。 成功だけでなく、後悔や反省も含めて、正直にお伝えしたいと思います。

価格重視の時代の中で見た現実。 遠く離れた工場との距離感。 調整役として学んだこと。

これまでのエピソードもすべて含めた総括です。

次回、乞うご期待ください。



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