2026.02.18:第64回 私の回顧録
仕入れ編
〜お世話になった方6〜
みなさん、こんにちは。
前回は、堀留の生地問屋・Hさんについて振り返りました。
「やろうよ。」
あの一言で背中を押してくれる、
典型的な生地問屋の姿。
廃業や転職を経験しながらも、
人と人をつなぎ続けたHさん。
仕入れは、商品ではなく“縁”をつなぐ仕事。
前回、そう書きました。
そして今回のTさんとの出会いも、
まさにその“縁の続き”でした。
Hさんが最後に在籍していた会社。
その舵を取っていた社長がTさんです。
問屋の現場から、
今度は加工メーカーの経営者へ。
縁は一本の線ではなく、
網の目のように広がっていく。
私はその網の上を、少しずつ歩いていたのです。
◾️ 静かな夜の社長室
初めてTさんの会社を訪ねたのは夜でした。
雨は降っていない。
工場特有の強い匂いもない。
しんと静まった空気。
現れたのは、私服に近い格好の男性。
(社長?)
正直に言います。
第一印象は、
「少し胡散くさいな。」
自信がありそうで、
落ち着きすぎている。
まだ何も知らない私は、
警戒心のほうが勝っていました。
◾️ 転写プリントという武器
Tさんの会社は、転写プリントが主力でした。
版代不要。
データから転写紙を出力。
ヒートプレスで圧着。
小ロット・短納期。
「これからはスピードだよ。」
Tさんはそう言いました。
私はまだ、
“反物を仕入れる担当者”。
Tさんは、
“加工で市場を攻める経営者”。
視点の高さが違いました。
◾️ 白目をむいた生地
ある日、転写プリントした生地を縫製しました。
裏返した瞬間。
「あれ?」
縫い目が白い。
まるで生地が白目をむいている。
転写プリントは、
表面に色が乗る加工。
奥まで染まるわけではない。
私は、その構造を完全に理解していませんでした。
(やってしまった。)
しかしTさんは言いました。
「じゃあ、両面でやってみよう。」
責めない。
止まらない。
解決策を出す。
攻める人は、
失敗も前進の材料にする。
ここで一つ、私は成長しました。
◾️ 最初の挑戦者
Tさんが、新たにオリジナル転写ペーパーを作れる設備を導入しました。
「最初、やる?」
そう言われたのは私でした。
デザインは自分で作りました。
初のオリジナル。
(売れなかったらどうしよう。)
でも同時に、
(面白い。)
結果は悪くなかった。
その後、いくつかオリジナルデザインをサンプルとして提供しました。
あれは、
仕入れ担当という枠を超えた挑戦でした。
Tさんのスピードについていくのは――
楽しかった。
◾️ 商談中の乱入
やがて中国出張へ。
現地工場の空気。
日本とは違うスケール感。
商談の最中でした。
突然、見知らぬ外国人が近づいてきました。
「This fabric is good!」
いきなりの一言。
完全に乱入です。
私は一瞬、固まりました。
(え? 誰? どういう状況?)
海外の現場は、日本の商談のように整然とはしていません。
あの自由さに、正直、面食らいました。
◾️ 英語で値切る男
別の場面でのことです。
価格の話になりました。
Tさんは、
すぐに英語で交渉を始めました。
金額。
条件。
数量。
迷いがない。
流暢さ以上に、
“引かない姿勢”が伝わってきました。
堂々としている。
私はその姿を見て、
完全に見方を変えました。
(この人は、攻める人だ。)
◾️ 経歴を聞いて驚く
帰国後、改めてTさんの経歴を知りました。
関西の有名国立大学卒。
大手繊維商社勤務。
海外駐在経験。
そして独立。
(なるほど。)
胡散くさいのではない。
“世界を見てきた自信”だったのです。
私はやっと、
最初の違和感の正体を理解しました。
◾️ 認識のズレという落とし穴
しかし、中国は甘くありません。
帰国後に発注した生地。
出来上がってきたものは、
思っていた仕上がりと微妙に違いました。
色味。
ニュアンス。
柄の出方。
「まあ、こんな感じで」
日本では通じていた曖昧さが、
まったく通じていなかったのです。
(これは、まずい……。)
出来上がりはイメージしていたものと違うものに。
数量も少なくありません。
このまま全量引き取るのか。
正直、焦りました。
そのとき動いたのはTさんでした。
中国側とやり取りを重ね、
状況を説明し、
こちらの意図を丁寧に伝えてくれました。
結果、すべてではありませんが、
問題があった柄はキャンセルという形で調整してもらうことができました。
私は横でそのやり取りを聞きながら、
自分の甘さを痛感していました。
仕様は、具体的に。
言葉は、数字で。
ニュアンスではなく、基準で。
世界と取引するとは、
責任もまた世界基準になるということ。
あの一件は、
私にとって大きな授業でした。
◾️ 為替という見えない敵
ある日、Tさんが言いました。
「昔、為替で痛い目を見た。」
1円動くだけで、
利益が消える。
加工の話ではない。
生地の話でもない。
経営の話でした。
私はそれ以来、
為替レートを見るようになりました。
仕入れとは、
世界を見ること。
◾️ 退社の日の電話
私が会社を退職するとき、
声をかけてくれたのもTさんでした。
「何かあったら言ってよ。」
その一言は、
営業トークではありませんでした。
人情。
攻めるだけでなく、
人を見る人でした。
◾️ 楽しかったスピード
白目をむいた生地。
中国での乱入者。
英語交渉。
為替の話。
あのスピードは、
怖かったか?
いいえ。
楽しかった。
私は“仕入れ担当”から、
少しだけ“経営を見る目”を持つ人間に近づけた気がします。
Tさん、ありがとうございました。
◾️ 次回予告
問屋のHさん。
攻めの経営者Tさん。
仕入れの世界には、
まだ違うタイプのキーパーソンがいます。
次回は、
繊細で奥深い素材――
レースを扱っていたKさん。
華やかに見えて、実は難しい。
レースの世界で教わったことをお届けします。
どうぞ、次回もお付き合いください。