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Textile Industry Column糸偏コラム:自由な視点
私の回顧録

2026.02.17:第63回 私の回顧録

仕入れ編
〜お世話になった方5〜

みなさん、こんにちは。

前回は、京都のプリント屋Kさんとのご縁を振り返りました。 静かな手捺染の工場。 「できる」「難しい」を即決する社長の判断。 そして、製造現場を見せてもらったあの日の酸っぱい匂いとボイラーの熱気。

あのKさんの紹介で米沢へと足を運び、Sさんと出会い、産地の歴史と“見本反”という発想を学びました。 仕入れは、単なる価格交渉ではない。 人の想いを受け取り、次へつなぐ仕事だと知った回でもありました。

今回お話しするのは、また別のタイプの問屋さん。 京都にルーツを持ち、東京・堀留で生地を扱い、時代の荒波の中を渡り歩いたHさんです。

私にとってHさんは、 “典型的な生地問屋の姿”そのものでした。

典型的な生地屋

◾️ 堀留という場所

堀留には、「織物中央道り」と呼ばれる通りがありました。 生地問屋のメッカ。

私が仕入れを始めた当初、京都や大阪に本社を持つ問屋の東京支店、商社系の支店が軒を連ねていました。 古いビルの中に反物が積まれ、台車の音が響く。 朝は静かでも、昼になると業者が行き交い、独特の空気が流れていました。

しかし、年月とともにその風景は変わります。 私が生地屋を退職する頃には、問屋は減り、マンションが増えていました。

産地の縮小。
問屋の廃業。
事業部の閉鎖。

時代は確実に動いていました。

それでも、私の中の“生地問屋像”は、ひとりの人物に重なっています。 Hさんです。

織物中央道り

◾️ ダークスーツの問屋

Hさんは中肉中背。 ダーク系のスーツが多かった印象です。

展示会では、じっと座っていることはありません。 来場者の間を動き回り、声は大きく、よく通る。

「やろうよ。」

その一言に、迷いがありません。

朝一番の電話も、 「毎度です。」

実にシンプルで、実に力強い。

価格交渉も駆け引きなし。 最初からベストを提示してくる。 無駄な探り合いをしない。

たまに業界への不満を口にすることはあっても、基本は前向き。 とにかく、バイタリティーがある。

京都にルーツを持ち、呉服から洋装へと拡大してきた会社。 東京・堀留に支店を構え、和装の静けさを残す事務所。

その姿は、まさに戦後の生地問屋の歴史そのものでした。


◾️ 仕入れ担当としての出会い

Hさんとの出会いは、番頭からの紹介でした。 仕入れ担当になったばかりの私に、 「今度、仕入れになるから」と言ってつないでくれたのです。

当時、私はまだ値決めも番頭に確認しながら進めていました。 展示会では1反単位で仕入れられる。 大きなロットではない。 しかし、売れなければ在庫です。

業界はすでに厳しい状況でした。 売上は伸び悩み、価格競争は激しい。

そんな中でもHさんは言います。

「やろうよ。」

私も即答しました。

「やりましょう。」

今思えば、あの即答の応酬が、私たちの関係の象徴だったのかもしれません。


◾️ 廃業と転職の時代

しかし、時代は容赦がありません。

私が以前に勤めていた会社は廃業しました。 残念でした。

Hさんの会社もまた、廃業や事業部閉鎖を経験します。 そして、Hさんは別の会社へ。 さらにその会社も閉鎖。

会社を渡り歩く。

普通なら疲弊するところです。 けれど、Hさんは変わらない。

元気。 前向き。

処分品やお値打ち品が出れば、真っ先に声をかけてくれる。 閉店する小売店を紹介してくれる。 最後の会社では、中国へとつながる縁までつくってくれました。

仕入れは、商品だけではない。 情報と縁をつなぐ仕事。

それを、Hさんは体現していました。


◾️ 人情の問屋

Hさんは若い人も育てようとしていました。 服飾専門学校卒の若者を採用し、教育をしていました。 残念ながら長くは続かなかった。

それでも、新しい職場を紹介する。

人情味。

堀留に事務所を構える際も、元々の社長の伝手を使い、条件の良い物件を探してきた。

商売の世界は冷たいと思われがちです。 しかし、Hさんの周りには常に“人”がありました。


◾️ 大阪での再会

ある日、夕方に電話がありました。 大阪の本社へ来ているという。

私も大阪出張中でした。 挨拶に伺いました。

名刺代わりに、その場でプリント生地のお値打ち品を注文しました。

義理だけではありません。 この人に恥をかかせたくなかった。

その夜は一緒に飲みました。 社長も喜んでくれました。

後日、その会社の社長からも感謝されました。 それがまた、新しい縁につながりました。

縁は、一本の線ではなく、網の目のように広がります。

名刺代わり

◾️ 典型的生地問屋という存在

私の中でHさんは、 “典型的な生地問屋”のイメージです。

京都発祥の会社。 呉服から洋装へ。 堀留に支店。

時代に合わせて形を変えながら、 人をつなぎ、情報を回し、前へ進む。

業界が縮小しても、 会社が変わっても、 自分のスタンスは変えない。

「やろうよ。」

その一言に、どれだけ救われたか分かりません。


◾️ 最後の電話

Hさんが引退された後。 私が会社を辞める際、電話をしました。

「あんたならまだまだできるよ。」

その言葉は、今も胸に残っています。

電話を切ったあと、 まだやれると思いました。

この業界と関わり、何か役に立てることはないか。

もしかすると、 このコラムを書いている今も、その延長線上にあるのかもしれません。


◾️ 仕入れとは何か

Kさんは、現場を見せてくれた社長。 Sさんは、産地へ導いてくれた方。

そしてHさんは、 “生地問屋という生き方”を見せてくれた人。

仕入れは数字だけではありません。 人と人の信頼。 縁をつなぐ力。

商品は変わる。 会社も変わる。 けれど、人とのご縁は残る。

Hさん。 ありがとうございました。


◾️ 次回予告

Hさんの歩みを追っていくと、 自然と、もう一人の存在に行き着きます。

Hさんが最後に身を置いた会社。 その舵を取っていた社長、Tさんです。

またひとつ、違う立場から見た“仕入れの世界”。 問屋とは何か。社長とは何か。 そして、人を信じるということ。

次回は、その Tさんとのご縁を振り返ります。 引き続き、お付き合いいただければ幸いです。



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