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私の回顧録

2026.02.15:第61回 私の回顧録

仕入れ編
〜お世話になった方3〜

みなさん、こんにちは。

前回は、処分品を通じて私の仕入れを支えてくださったYさんのお話をさせていただきました。 人とのご縁が、仕事の幅を広げ、人生の視野まで広げてくれる——そんなことをあらためて感じた回でした。

今回もその流れを受けて、仕入れの現場で出会い、やがて仕事の枠を超えて深く関わることになったSさんのお話をしたいと思います。

Sさんは、仕入先の方ではありましたが、最初は直接の担当者ではありませんでした。 いつ、どのタイミングで出会ったのか、実ははっきりとは覚えていません。 ただ、共通の取引先の方から紹介されたことだけは記憶しています。 おそらく、2005年から2006年頃だったと思います。

そこから始まったご縁が、私を米沢へ導き、産地の奥深さを教えてくれることになるとは、そのときは想像もしていませんでした。

ご縁

◾️ 地場コンバーターとのつながり

Sさんが所属していたのは、米沢のコンバーター。 当社では、シルクサッカーやシルクシャンタンといった定番商品を仕入れていました。

どちらも安定した品質を誇る商品で、定番扱い。 そのため、元々の担当者の方とは年に1〜2回の商談という関係でした。

いわば「安定した取引」。 それ以上でも、それ以下でもない。

ところが、Sさんと出会ったことで、その関係性が大きく動き出します。

紹介後、先方では販路の担当者会議があったようで、すでに面識があったこともあり、私の会社の担当にSさんがつくことになりました。

この“担当が変わる”という出来事が、後の大きな転機になったのです。


◾️ 「見本反、販売してみませんか?」の一言

当時私は、産地の目玉商品を集めて販売する企画を進めていました。 いわば、産地の魅力を編集し、再提案する取り組みです。

その話をSさんにしたとき、返ってきた言葉が印象的でした。

「産地で持っている見本反を販売してみませんか?」

見本反。 展示会用や商談用に制作されるサンプル反物のことです。

通常10m〜20m程度。 アパレルから受注があれば本生産に入りますが、受注がなければそのまま在庫になります。

見本反は、本生産よりもむしろ手間がかかり、織り単価も高い。 効率で言えば決して良いものではありません。

しかし、産地には少なからず残っている。 倉庫スペースを圧迫しながらも、数量が少ないために扱いづらく、処分にも踏み切れない。

そこに目をつけたのがSさんでした。

「タイミングが合えば、安価で仕入れられますよ。」

この一言で、私は動きました。

見本反

◾️ 初めての米沢へ

2007年4月。 私は初めて米沢を訪れました。

翌日が休日だったため、泊まりで向かいました。 どうせ行くなら、できるだけ多くのものを見て、聞いて、吸収したい。そんな気持ちでした。

米沢は、空気が澄み、どこか時間の流れがゆっくり感じられる街でした。 しかし、その静けさの中には、長い繊維の歴史が息づいています。

Sさんは、私が到着する前に、機屋さんたちへ根回しをしてくださっていました。 単価もある程度決まっており、商談はスムーズに進みました。

私は、何軒もの機屋やコンバーターを回り、見本反を仕入れました。

一点物。
数量限定。
他にはない柄、他にはない風合い。

当社では着分で販売していたため、むしろこの“少量”が強みになりました。

セールでは、「一点物」という価値が際立ちます。 特に米沢織特有の高品質な素材や、手の込んだジャカードは、非常に人気でした。

あのときの高揚感は、今でも忘れられません。


◾️ 産地を知るということ

初めて米沢を訪れた際、Sさんは上杉神社と上杉博物館にも案内してくださいました。

上杉博物館では、米沢織の歴史を学びました。 上杉鷹山公の改革。 そして、日本で最初にレーヨンを工業化した地であること。

産地は、単なる「生産地」ではありません。 歴史と思想、挑戦の積み重ねがある場所です。

繊維産業がこの地を牽引し、街を支えてきた時代。 その誇りとエネルギー。

Sさんは、単に商品を紹介するのではなく、産地の背景まで伝えてくれました。

それが、私の仕入れ観を変えました。

上杉鷹山公

◾ 年2回、5年間の往復

それ以降、約5年間、年に2回のペースで米沢を訪れました。

機屋さんとの食事会。
Sさんのご友人のお店。
現場でのやり取り。

どれも、かけがえのない時間でした。

その間、Sさんの会社は東京営業所も設立し、忘年会にも呼んでいただきました。

仕入先という関係を超え、信頼関係が深まっていった時期でした。


◾️ 百貨店通販という新たな挑戦

さらに大きな出来事もありました。

Sさんの会社は、大手百貨店の通販向けに生地手配と縫製を行っていました。 ところが、その百貨店の窓口をしていた会社が廃業することになったのです。

「御社で窓口になってもらえませんか?」

その打診を受け、約半年の話し合いを経て、当社が窓口として百貨店通販を受けることになりました。

これは私たちにとって、大きな挑戦でした。 詳しい話はまた別の機会にお話ししますが、Sさんの信頼があったからこそ実現した話でした。


◾️ 父の背中を見て育ったSさん

忘れられないエピソードがあります。

Sさんのお父様も、同じ会社に勤めていました。 小さい頃、会社とグループで行われた運動会に参加し、 「大きくなったら、この会社で働くんだろうな。」 そう思ったそうです。

当時は、グループで運動会ができるほどの規模。 繊維産業が花形だった時代です。

米沢では、その会社に勤めていることが、役所よりも安定していると言われていたと聞きました。

初めて米沢に行ったとき、お父様が社長をされていて、 「よろしく頼むね。」 と声をかけていただいたことを、今でも覚えています。

時代は変わりました。 私が生地屋を辞める1年前、その会社は破綻しました。

しかし、Sさんは同じ米沢発のアパレルメーカーで副社長として活躍されています。

今も多少のつながりがあり、私が関わる機屋経由で生地を購入していただくこともあります。

ご縁は形を変えて続いています。


◾️ 産地と人に学んだこと

Sさんとの出会いは、単なる仕入れの関係を超えたものでした。

見本反の活用という実務的な学び。 産地の歴史という文化的な学び。 そして、人の想いを受け継ぐという姿勢。

仕入れとは、価格交渉だけではありません。 その土地の空気を吸い、歴史を知り、人の物語に触れること。

それが、商品に深みを与えるのだと感じました。

Sさんには、本当にお世話になりました。 感謝の気持ちは、今も変わりません。


◾️ 次回予告

今回はここまでにいたします。

次回は、Sさんを紹介してくださった京都のKさんのお話をいたします。 ご縁はさらに広がっていきます。

どうぞ、次回も楽しみにしていてください。



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