2026.02.14:第60回 私の回顧録
仕入れ編
〜お世話になった方2〜
みなさん、こんにちは。
前回は、印刷業者のMさんとの思い出を振り返りました。
仕入れという仕事は、単に「商品を仕入れる」ことではなく、「人と向き合う」ことなのだと、あらためて感じた回でもありました。
今回もその流れを受けて、私の仕入れ人生の中で忘れることのできない方をご紹介したいと思います。
仕入先のYさん。
私はずっと「社長」と呼んでいました。
仕入先でもあり、時に業界の先輩であり、そして海外への扉を開いてくれた方。
そんなYさんとの思い出を、少し丁寧に振り返ってみたいと思います。
◾️ 大阪出張がつないでくれたご縁
Yさんとの最初の出会いは、前回ご紹介したMさんと同じく、大阪営業所がきっかけでした。
当時、私は大阪営業所へ定期的に出張していました。
仕入れの打ち合わせ、商品企画の相談、情報交換。
大阪は活気があり、東京とはまた違った商売の空気が流れていて、毎回刺激を受けていました。
その中で、大阪の仕入れ担当者から紹介されたのがYさんでした。
「一度会ってみたらいいよ。面白い社長だから。」
そんな一言から始まったご縁でした。
最初にお会いしたときの印象は、とにかくフットワークが軽い方。
そして、話のテンポが早い。
しかし決して押しつけがましくなく、こちらの話をよく聞いてくれる。
「あ、この方は仕事ができる人だな。」
直感的にそう感じたのを覚えています。
それ以来、大阪に行くときは必ず立ち寄る存在になりました。
◾️ “処分品”という宝の山
Yさんの会社は、大手繊維商社の処分品を扱っていました。
“処分品”と聞くと、少しネガティブな印象を持たれる方もいるかもしれません。
しかし、実際はそうではありません。
過剰在庫になったもの、シーズンが終わったもの、企画変更で使われなかったもの。
品質は確かでありながら、タイミングの問題で市場に出きれなかった生地たちです。
そして何よりも魅力だったのは、価格でした。
通常単価の約1/5。
つまり、同じ仕入れ予算で、5倍の数量を確保できるということです。
一番多い時には、年間1000種近くを仕入れていました。
この数字は、私の仕入れ人生の中でも相当なボリュームです。
もちろん、すべてをそこで揃えられるわけではありません。
定番商品や安定供給が必要なものは、別ルートで手配します。
価格面だけでなく、変わった商品もあり「掘り出し物」を見つける楽しさがあったのです。
まるでお宝探しのようでした。
◾️ 電話一本で動く信頼関係
大阪に行かない時も、Yさんとは頻繁に連絡を取っていました。
「社長、何かいいもの入ってますか?」
「ちょうど今日入ったよ。写真送るわ。」
そんなやり取りが日常でした。
まだ今のように簡単にオンラインでデータ共有ができる時代ではありません。
FAXやメール、時には携帯電話でのやり取り。
それでも、意思疎通はとてもスムーズでした。
「これ、あんたの会社向きやと思うで。」
そう言って提案してくれる生地は、驚くほど的確でした。
仕入れは、数字とロジックの世界でもあります。
しかし最終的に決めるのは「感覚」も大切です。
Yさんは、その感覚を共有できる方でした。
◾️ 上海での再会 〜異国の地での挑戦〜
Yさんとの思い出の中で、特に印象深い出来事があります。
それは、社員旅行で訪れた中国・上海での出来事です。
当時、私は初めて中国に行きました。
言葉もわからない。土地勘もない。
正直、不安の方が大きかったのを覚えています。
Yさんは、上海にマンションを所有しており、月に一度は中国へ行っていました。
中国語も堪能で、現地事情にも詳しい。
社員旅行の2日目が自由行動だったため、思い切って連絡を取ってみました。
友人から中国で使える携帯電話を借り、待ち合わせをしました。
その時に言われた言葉が今でも印象に残っています。
「ホテルの名刺、何枚か持ってきてな。」
そして、
「今ここにいるから、タクシーで来てな。」
異国の地で一人タクシーに乗る。
今ならスマートフォンで位置情報を共有できますが、当時はそんな便利なものはありません。
正直、少し怖かったです。
でも、行ってみました。
無事に到着したときの安堵感は、今でも忘れられません。
◾ “生き返った”一夜
前日に食べた中華料理が、どうしても口に合わず、少し疲れていました。
そんな私を見てYさんが連れて行ってくれたのは、日式の居酒屋。
日本の味。
慣れ親しんだ空気。
「生き返った」という表現が、本当にぴったりでした。
異国での安心感。
そして、海外でもたくましく生きている日本人の姿。
写真を見返すと、2007年2月。
もう随分前のことですが、あの時は今でも鮮明です。
◾️ 半年後、再び上海へ
実はその半年後の8月、Yさんに招待され、再び上海を訪れました。
その時、私が最も驚いたのは、街の変化のスピードです。
「え、ここに駅ができてる?」
「このビル、前はなかったよね?」
1ヶ月に1つは新しい駅ができると言われるほどの勢い。
まるで私が子どもの頃に見た、日本の高度成長期のような空気感でした。
都市全体が前に進んでいる。
誰もが未来を信じている。
あの時感じた中国のエネルギーは、その後の私の仕入れ方針にも影響を与えました。
「一度、自分の目で見てみよう。」
そう思い、その後20数回、中国を訪れることになります。
その“きっかけ”をくれたのが、Yさんでした。
◾️ 堺筋本町での生地探し
Yさんの事務所は、当初は大阪営業所の近くにありましたが、のちに堺筋本町へ移転されました。
その界隈は、生地問屋が多く集まるエリア。
Yさんと一緒に、生地を探して歩いた時間は、本当に楽しかったです。
「これ、いけると思うで。」
「いや、こっちの方が回転早いかもな。」
現場でのやり取りは、机上の会議とは違います。
生地を手に取り、光にかざし、風合いを確かめながらの議論。
まさに“生きた仕入れ”でした。
◾️ 社長兼トップ営業マンという存在
少し話は広がりますが、私が40代の頃、取引先の多くは私より年上の方ばかりでした。
そして、規模の大きい問屋よりも、
社長兼トップ営業マンという形態の会社が多かったように思います。
元は大手で修行し、独立した方々。
Yさんもその一人でした。
このタイプの方の強みは、決断の速さです。
「この値段でどう?」
「よし、やろう。」
即決です。
さらに、単なる価格交渉だけでなく、
「将来どう売っていくか」まで一緒に考えてくれる。
無理なお願いにも、できる限り応えようとしてくれる。
そこには、商売人としての覚悟がありました。
◾️ 最後の処分を支えてくれたこと
私が退社する2〜3年前、レディース生地の最後の処分を手伝っていただいたことも、忘れられません。
在庫整理は、精神的にも負担が大きい作業です。
しかしYさんは、淡々と、そして前向きに支えてくれました。
「最後まできっちりやろう。」
その一言に、どれだけ救われたかわかりません。
◾️ 今は少し疎遠に
今は大阪に行く機会も減り、自然と連絡も少なくなりました。
しかし、もしまた大阪へ行くことがあれば、必ず声をかけたいと思っています。
商売の関係でありながら、
それ以上の時間を共有した方。
Yさんがいなければ、
私の仕入れ人生も、
そして中国との関わりも、
きっと違ったものになっていたでしょう。
◾️ 心からの感謝を込めて
仕入れの仕事は、数字や価格だけでは語れません。
人と人との信頼。
言葉の裏にある思いやり。
未来を一緒に描く力。
Yさんから学んだのは、まさにそうした部分でした。
本当にありがとうございました。
◾️ 次回予告
次回は、仕入先から協力企業へと関係が発展したSさんのお話をいたします。
どんなご縁が待っているのか。
どうぞお楽しみに。