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Textile Industry Column糸偏コラム:自由な視点
私の回顧録

2025.12.28:第12回 私の回顧録

店舗立て直し
〜せつない思い出〜

こんにちは。
糸偏コラム「私の回顧録」第12回です。

このコラムでは、私が洋服とともに歩んできたキャリアを振り返りながら、アパレル業界の現場で実際に起きていたこと、華やかに見える世界の裏側、そして何より「人」との関わりについてお話ししています。

第12回となる今回は、「店舗の立て直し」と「せつない思い出」をテーマにお届けします。 これまでの回の中でも、少し胸が締めつけられるような内容になるかもしれません。ただ、今振り返ってみると、この経験があったからこそ、私の中に今も揺るがない“仕事観”や“人への向き合い方”が育ったのだと思っています。

できるだけ重くなりすぎないように、当時の空気感や現場の温度も含めて、等身大の言葉でお話ししていきますね。

店舗の立て直し

◾️ バブル崩壊後の時代背景|「拡大」から「立て直し」へ

時は1993年。
日本はバブル経済が崩壊し、「右肩上がり」が当たり前だった時代が、音を立てて終わったころでした。

街を歩いていても、どこか元気がない。 それまで当たり前だった「売れて当然」「出せば売れる」という空気は消え、企業も個人も、どこか手探りの状態。アパレル業界も例外ではなく、次々と閉店する店舗、縮小される事業、方向転換を迫られる現場が増えていきました。

そんな中、私は千葉地区のマネージャーに任命されます。

正直に言うと、「よし、出世だ!」という気持ちよりも、「これはなかなか骨の折れる役目だぞ…」という思いのほうが強かったのを、今でもはっきり覚えています。


◾️ 八千代台店での再スタート|まずは“当たり前”から

最初に任されたのは、千葉県の八千代台店。 この店舗、もともとはレディース専門店を展開していた会社が手がけたメンズショップで、バブル期の多角化戦略の流れを色濃く残していました。

勢いのあった時代に作られた店舗は、コンセプトも運営体制もどこか曖昧。 「とりあえずやってみよう」で始まり、「なんとなく続いている」――そんな印象でした。

立て直しと聞くと、大胆な改革や目新しい施策を想像されるかもしれませんが、私が最初に取り組んだのは、驚くほど地味なことでした。

・ きちんとした挨拶
・ 売場の清掃
・ 商品の整理整頓
・ スタッフ全員が同じ接客を意識すること

いわゆる「基本中のキ」です。

でも、不思議なもので、こうした“当たり前”ができていない店舗ほど、空気が重く、お客様にもそれが伝わってしまうものなんですよね。


◾️ 小さな変化が生んだ手応え|数字よりも大切な感覚

半年という限られた期間で、劇的な売上アップがあったわけではありません。 ただ、少しずつ、確実に、店の空気は変わっていきました。

スタッフの表情が明るくなり、売場に立つ姿勢が変わり、お客様との会話が増えていく。 「今日は静かだったね」ではなく、「あのお客様、また来てくれたね」という言葉が自然と出てくるようになったのです。

数字にはすぐに表れなくても、こうした感覚的な変化は、後々必ず結果につながる。 このとき私は、改めて「店舗は人が作るものだ」と実感しました。


◾️ 次なる舞台・日立店|重要拠点への異動

八千代台店での役目を終えて半年後、次に向かったのは茨城県日立市。 90坪という大型店舗で、事業部の中でも売上トップクラスを誇る、まさに“看板店舗”でした。

一見すると順調そうに見える日立店でしたが、内部にはさまざまな課題を抱えていました。 売れているからこそ見えにくくなっていた歪み、属人的な運営、疲弊したスタッフ――。

さらに、日立といえば「日立製作所」の企業城下町。 地元に根ざした文化が強く、スタッフの多くも生粋の地元の方々でした。

そこへ、私は“外から来た人間”として加わることになります。


◾️ よそ者から仲間へ|現場で築いた信頼関係

最初は、やはり距離がありました。 無理もありません。急に来たマネージャーが、何をするのか、何を変えようとしているのか、警戒されて当然です。

私は、余計なことは言わず、まずは一緒に売場に立ちました。 一緒に畳み、一緒に声を出し、一緒に数字を見て、一緒に悩む。

時間はかかりましたが、少しずつ「この人は現場を分かってくれる」という空気が生まれていきました。

気づけば、スタッフから自然に意見が出るようになり、売場づくりもチームで考える形に変わっていったのです。


◾️ 時代の波に乗った日立店|Tシャツが飛ぶように売れた日々

この頃、若者の間ではサーフィンやスノーボードといったアクティブスポーツが大流行。 Tシャツは、まさに“飛ぶように売れる”時代でした。

日立店は立地にも恵まれ、気づけば「Tシャツならあの店」と言われる存在に。 週末には多くのお客様が訪れ、売場は活気に満ちていました。

実は私自身、若い頃にサーフィンに熱中していた時期があり、海の近い日立での生活は、どこか懐かしく、心地よいものでした。

仕事帰りに海を眺め、休日には波に乗る。 洋服と自然と日常が、ゆるやかにつながっていた、今思えばとても贅沢な時間でした。

Tシャツ

◾️ 突然の知らせ|平穏を壊した一言

そんなある夏の日。 サーフィンを終え、心地よい疲れとともに家に帰ると、妻が静かに言いました。

「ねえ、店舗を借りてた会社、倒産したって…」

一瞬、言葉の意味が理解できませんでした。 冗談かと思い、聞き返したほどです。

すぐに会社に連絡を取ると、事実でした。 さらに、「至急、商品を引き上げろ」という指示。

しかし、デベロッパー側からは「商品は持ち出せません」との返答。 頭の中が真っ白になりました。


◾️ 在庫引き上げ作戦|3日間の戦い

必死の交渉の末、なんとか3日間だけ商品搬出の許可が下りました。

数千万円分の在庫を、たった3日で引き上げる――。 無謀とも言える状況でしたが、やるしかありません。

スタッフ総出で、昼も夜も関係なく作業を続けました。 まさに「在庫の引っ越しセンター」。

誰一人、文句を言うことなく、黙々と手を動かしてくれたスタッフの姿は、今でも忘れられません。


◾️ せつない別れ|仕事の先にある現実

結果として、私は転勤という形で次の場所へ向かうことになります。 しかし、地元スタッフたちはそうはいきませんでした。

店舗の閉店とともに、職を失う現実。

「何かできなかったのか」 「もっと早く動けなかったのか」

今でも、ふとした瞬間に、そんな思いが胸をよぎります。

仕事としての役割は果たせたかもしれません。 でも、人との別れは、いつも割り切れるものではありません。

せつない別れ

◾️ 経験として残ったもの|人と向き合うということ

この経験を通して、私は改めて思いました。

店舗を立て直すことよりも、 数字を回復させることよりも、 一番難しくて、一番大切なのは「人と向き合うこと」だと。

洋服の仕事は、洋服だけでは完結しません。 そこには必ず、人がいます。


◾️ 次回に向けて|また新たな挑戦へ

今回は、「店舗の立て直し」と「せつない思い出」についてお話ししました。

次回は、日立店の後に配属された新たな地での、また別の挑戦についてお伝えする予定です。 少し肩の力を抜いたお話もできる…かもしれません。

次回は、日立店の後に配属された新たな地での、また別の挑戦についてお伝えする予定です。 少し肩の力を抜いたお話もできる…かもしれません。

ところが、次回は激動の1年とその時代のファッション業界についてお話をいたします。

どうぞ、次回もお付き合いください。



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