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私の回顧録

2025.12.18:第2回 私の回顧録

私と洋服の出会い
〜多感だった中学・高校時代〜

ご覧いただきありがとうございます。
糸偏コラム「私の回顧録」第2回です。

前回は、幼少期から小学校時代まで、下町・亀有で過ごした日々と、知らず知らずのうちに洋服が身近にあった環境についてお話ししました。 今回はそこから少し成長して、「多感だった中学・高校時代」を振り返ってみたいと思います。

とはいえ、中学に入学した当時の服装を細かく覚えているかというと、正直なところ、あまりはっきりとは思い出せません。 今思えば「多感」というよりも、どこか気持ちが定まらず、少し無気力だった時期だったように感じます。

多感

◾️ なんとなく過ぎていった中学入学当初

中学に入ったばかりの頃の私は、特別おしゃれに敏感だったわけでもなく、これといって夢中になれるものもありませんでした。 流行っているものを、深く考えずに身につける。 周りと同じような格好をして、同じように毎日を過ごす。 そんな、よく言えば無難、悪く言えば特徴のない中学生だったと思います。

今振り返ると、この時期は「自分は何が好きなのか」「何をやりたいのか」が、まだ見えていなかったのだと思います。 ただ、その“何もない時間”があったからこそ、後に大きく動き出すきっかけが生まれたのかもしれません。


◾️ スキーとの、思いがけない出会い

そんな私に転機が訪れたのは、意外なところからでした。

母の実家が、長野県の志賀高原の近くにあり、あるとき弟と二人だけで、2〜3泊のスキー教室に参加することになりました。 今思えば、まだ子どもだった私たちを二人きりで送り出すのですから、なかなか思い切ったことだったと思います。

初めて本格的に雪山に立ち、スキー板を履き、何度も転びながら滑る。 最初はうまくいかないことだらけでしたが、不思議とそれが楽しかった。

少しずつ滑れるようになる感覚。 スピードに慣れていく高揚感。 寒さや疲れよりも、「もっと滑りたい」「もっと上手くなりたい」という気持ちのほうが強かったのを、今でもよく覚えています。

この体験をきっかけに、私はすっかりスキーにハマりました。 そして自然と、「高校に入ったら、絶対にスキー部に入ろう」と思うようになったのです。


◾️ スキー部のある高校しか考えなかった話

当時の私は、今思うと驚くほど単純でした。 スキー部に入りたい。 だったら、スキー部のある高校に行く。

それ以外の選択肢は、ほとんど頭にありませんでした。 結果として受験した学校は、すべて私立。 今なら親に「よくそれでOKしてくれたな」と、素直に感謝したくなります(笑)。

ただ、この頃からでしょうか。 「自分で決める」「自分で選ぶ」という感覚が、少しずつ身についてきたのは。 後になって振り返ると、これも大切な一歩だったように思います。


◾️ 目立つことが、純粋に格好よかった時代

スキーに夢中になると、自然と身につけるものにも意識が向くようになります。

当時のスキーウェアは、赤、黄色、ブルーといった原色が主流で、とにかく派手。 今のシンプルで落ち着いたデザインとは、正反対の世界でした。

でも、子ども心には、それがとにかく格好よく見えました。 「目立つ=格好いい」 当時の私にとっては、とても素直で分かりやすい価値観だったと思います。

普段着でも、その感覚は同じでした。 ちょうどこの頃、ジーンズがベルボトムからスリムへと移り変わる時代でもありました。

ベルボトムの頃は、いかに裾が広いか。 スリム(当時はマンボパンツと呼ばれていました)になると、今度はいかに細いか。

今思えば、少し可笑しくもありますが、その時代なりの「かっこよさ」を、一生懸命追いかけていたのだと思います。 若さゆえの勢いですね。


◾️ 念願のスキー部へ

希望通り、スキー部のある高校に入学。 同級生でスキー部に入部したのは、6人でした。

ただ、スキー部はれっきとした体育会系。 想像していた以上に練習は厳しく、2年生になる頃には、部員は3人に減っていました。

それでも、不思議と「辞めたい」と思ったことはあまりありません。 きついのは確かでしたが、それ以上に、楽しかった思い出が多かったからです。

寒さに耐えること。 自分の限界と向き合うこと。 仲間と同じ時間を共有すること。

この頃に身についた感覚は、今の仕事にも、確実につながっていると感じています。


◾️ スポーツブランドに夢中だった日々

この時期の私は、完全にスキー用品やスポーツブランドの虜でした。

ロシニョールのスキー板。 チャンピオンのスウェット。 アディダスのジャージ。

毎年、新しいモデルやアイテムをチェックするのが楽しみで、自然と詳しくなっていきました。

ただ、流行っているから欲しい、というよりも、 「信頼できるものを使いたい」 そんな気持ちが、少しずつ芽生えていたように思います。

良いモノは、ちゃんと応えてくれる。 信頼できるモノは、不思議と自分に自信を与えてくれる。

この頃から、「良いモノとは何か」「本物とは何か」を、感覚的に学び始めていたのかもしれません。

スキー部

◾️ 冬の合宿と、モノを大切にする感覚

特に印象に残っているのが、冬の合宿です。

みんなが持ち寄った最新のウェアを見て、 「東京都の高校生が、世界で一番ファッションにお金かけてるんじゃない?」 なんて冗談を言い合っていました(笑)。

実際、一番お金をかけていたのは、成績に直結するスキー板やブーツなどの道具でした。 そして、それらの手入れは驚くほど丁寧。

使ったあとは必ず手入れをする。 次に使うときのことを考えて、大事に扱う。

モノを大切にする、という当たり前のことを、自然と身につけた時期だったように思います。


◾️ 『POPEYE』と西海岸カルチャーの衝撃

そんな中で出会ったのが、雑誌『POPEYE』です。 この雑誌から受けた影響は、かなり大きなものでした。

西海岸カルチャー。 アウトドア、ヘビーデューティー、スケーター、サーフ、テニスファッション。

それまで見ていた世界とは、少し違う価値観が、そこにはありました。

・ Leeのブーツカットコーデュロイ。
・ ストームライダー。
・ Levi’s 501。
・ シェラデザインのマウンテンパーカー。
・ ロッキーマウンテンのダウンベスト。
・ ナイキのナイロンコルテッツ。
・ ニューバランスN320。

欲しいものは、次から次へと出てきます。 Tシャツ、ショートパンツ、ジーンズ、アウトドアアウター。 今思い返しても、この頃が人生で一番、物欲があった時期かもしれません。

ポパイ

◾️ 今も残っている、あの頃の感覚

こうして振り返っていると、無性に昔の雑誌をめくりたくなります。 紙の匂い、写真の色味、キャッチの面白さ。

あの頃に感じていたワクワクは、形を変えながら、今も胸の奥に残っています。


◾️ 今回は、ここまでです。

次回は、大学時代と就職までの時期についてお話しする予定です。 洋服との関係が、さらに現実的になっていく時期でもあります。

どうぞ、次回も気軽にお付き合いください。 乞うご期待ください。


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