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Textile Industry Column糸偏コラム:自由な視点
私の回顧録

2025.12.19:第3回 私の回顧録

私と洋服の出会い
〜ライフスタイル〜

こんにちは。
糸偏コラム「私の回顧録」第3回です。 前回は、中学・高校時代という、感性が大きく揺れ動いていた頃のお話をしました。

スキーとの出会い、西海岸カルチャーの影響、そして「良いモノ」への意識が芽生え始めた時期でした。

今回はそこから少し先へ進み、 やりたいことや生活スタイルが、少しずつ形になり始めた大学時代のお話をしていきたいと思います。

今振り返ると、この頃は「将来どうなるか」よりも、 「いま何が楽しいか」「どこに身を置いていたいか」 そんなことを大切にしていた時代だったように思います。

ライフスタイル

◾️ 学業よりも、好きなこと

正直に言ってしまうと、大学時代の私は、決して“優等生”ではありませんでした。 やりたいこと、欲しいもの、行きたい場所。 それらを叶えるために、学業よりもアルバイトに力を入れていた、というのが実情です。

ただ、不思議なことに、そのアルバイト先は、どれも自分の興味や好奇心と直結していました。 結果として、教室では学べないことを、現場でたくさん吸収していたように思います。

今思えば、この頃の経験が、後の仕事の土台になっている部分も少なくありません。


◾️ 最初のアルバイトは、アメ横のカジュアルショップ

大学に入って、最初に働いたのが、アメ横にあったカジュアルショップでした。 並行輸入品を中心に扱うお店で、インポートのスウェット、シャツ、アウターなどが所狭しと並んでいました。

いまほど情報が溢れていない時代。 「アメリカから入ってきた」というだけで、どこか特別な空気がありましたし、 西海岸テイストの服たちは、見ているだけでワクワクさせてくれる存在でした。

アメ横という街自体も、独特のエネルギーに満ちていました。 呼び込みの声、人の流れ、路地の匂い。 服を売る、というよりも、「街の一部としてそこにいる」感覚が強かったように思います。


◾️ すぐ近くにあった、名店

そのバイト先のすぐ近くには、**三浦商店(現在のSHIPSの創業店)**がありました。 店先に並ぶバラクーダのG9、クラークスのワラビー。 いまも定番として愛され続けている名品たちが、当たり前のように置かれていました。

さらに少し歩けば、当時から人気だった「玉美」、 そしてジーンズ専門店の「守屋」。

守屋には、その頃ほかではなかなか手に入らなかった リーバイス502などが並び、若者たちが吸い寄せられるように集まっていました。

加えて、中田商店のミリタリー・サープラス、 貴金属やコスメ、ラグジュアリーブランドの並行輸入店なども混在し、 アメ横は当時から“ホットスポット”そのものでした。

この界隈に身を置いているだけで、 自然と流行の空気や、モノの価値観が体に染み込んでいく。 私にとっては、まさにファッションの学校のような場所でした。


◾️ 時給500円と、がむしゃらな日々

ちなみに、当時の時給は500円。 いま考えると驚きますが、その時給で、月に12万〜13万円ほど稼いでいました。

今なら「働きすぎ」と言われてしまいそうですが、 当時はそれが苦でもなんでもありませんでした。 好きな服に囲まれ、好きな街に立ち、 その対価としてお金がもらえる。 それだけで十分だったのです。


◾️ 神田・ミナミスポーツでの日々

次に働いたのが、神田にあったミナミスポーツでした。 スキー用品からスポーツ全般までを扱う大型店で、 規模としては、ヴィクトリアやミズノに次ぐ存在だったと記憶しています。

最初はスキー売り場での販売でしたが、 高校時代にスキー部だったこともあり、 次第にチューンナップや金具調整なども任されるようになりました。

夏になると、カジュアル売り場へ。 ラコステのポロシャツ、ファーラーのホップサック、 トップサイダーのデッキシューズ、アリーナの水着など、 スポーツカジュアル全般のアパレルを扱っていました。

競合店との比較も重要な仕事で、 フロアマネージャーから市場調査を頼まれ、 あちこちの店を回ることも多かったです。


◾️ 西海岸好きにはたまらない場所へ

調査でよく足を運んだのが、 『ビッグ・ウェンズデー』のプロモーションで、 ジュリー・ロペスが来日し、サイン会が行われた「SJハイストン」。

西海岸カルチャーが好きな人間にとっては、 まさに“聖地”のような場所でした。

また、ミズノには「アリーナ」と競合する スイムブランド「スピード」があったため、 その関係で足を運ぶこともありました。

働いていた期間は半年ほどでしたが、 好きなものに囲まれた、楽しい時間でした。 スポーツショップなので、多少体育会系ではありましたが、 もともと体育会系だった私には、むしろ心地よい環境でした。

ちなみに、トップサイダーのデッキシューズの在庫管理をしていた関係で、 アメリカンズカップモデルの品番が「930」だったことを、 いまだに覚えています。


◾️ 地元・亀有での原点回帰

その後は、実家のある亀有の隣駅にあった ビバスポーツでも働きました。

高校時代から通っていた馴染みの店で、 金具付けやチューンナップも任されるようになります。

ただ、「自分が好きなものしか売らない」という、 今思えば少し困った信条があり(笑)、 周囲をやきもきさせたこともありました。

それでも、不思議と私を信じて買ってくださるお客さまも多く、 その経験はいまでも、心に残る大切な財産です。


◾️ 海との出会い、そしてライフスタイルへ

高校時代は、ずっとスキー中心の生活でした。 そんな私に転機が訪れたのが、 友人に誘われて行った、ある日の海でした。

一度波に乗った瞬間、 これまでとは違う感覚に、すっかり心を掴まれてしまいました。 気がつけば、ボードとウェットスーツを購入し、 サーフィンを始めていました。

そこからの3年間は、 バイト代のほとんどを、海への交通費に使う生活。 自然と、服装もカジュアルでリラックスしたスタイルへと変わっていきました。

この頃、ようやく 「自分は、こういう生活が好きなんだ」 と、はっきり言えるようになった気がします。

サーフィン

◾️ 洋服は、いつも人生のそばにあった

こうして振り返ると、 私の人生には、常に洋服が寄り添っていました。

幼少期のアイビー。 高校時代のスキーと西海岸カルチャー。 大学時代のサーフィンとバイト。

どの時代においても、洋服は単なる“着るもの”ではなく、 自分の価値観や生き方を映す存在だったように思います。

いまでも、アイビースタイルには特別な愛着がありますし、 その時代ごとのカルチャーや流行が与えてくれた影響は、計り知れません。

カルチャー

◾️ ここまでのお付き合いに感謝を込めて

こうして振り返っていると、無性に昔の雑誌をめくりたくなります。 紙の匂い、写真の色味、キャッチの面白さ。

あの頃に感じていたワクワクは、形を変えながら、今も胸の奥に残っています。


◾️ 今回は、ここまでです。

これまでのコラムでは、 私の生い立ちと、洋服との出会いを中心にお話ししてきました。 少し長くなってしまいましたが、 ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。

次回からは、いよいよ社会人になってからの話。 ファッション業界での経験や、 洋服との関係が、より仕事として現実味を帯びていく時期について、 綴っていきたいと思います。

これからも、どうぞ気軽にお付き合いください。


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