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Textile Industry Column糸偏コラム:自由な視点
私の回顧録

2025.12.17:第1回 私の回顧録

私と洋服の出会い
〜原点は下町とアイビー〜

はじめまして。
TexStylistの「糸偏コラム 〜私の回顧録〜」にお越しいただき、ありがとうございます。

このコラムでは、洋服をこよなく愛してきた私の半生を、肩の力を抜きつつも、時には少し真面目に、時には思い出話を交えながら綴っていこうと思います。 素材の話、デザインの話、ビジネスの話、そして時々、どうでもいいようで実は大切な寄り道の話も出てくるかもしれません。

記念すべき第1回は、自己紹介も兼ねて「私と洋服の出会い」についてです。 今回は幼少期から小学生まで。 どうぞ、コーヒーやお茶を片手に、気軽にお付き合いください。

私の回顧録

◾️ まずはご挨拶

改めまして、はじめまして。
このコラムを書いている私は、1960年生まれ。
長年、洋服や素材、テキスタイル、そしてファッションビジネスの世界に関わってきました。

とはいえ、最初から「将来はこの道で」と考えていたわけではありません。 気がついたら、ずっと洋服のそばにいて、離れられなくなっていた――そんな表現のほうが近いかもしれません。

このコラムでは、そんな私の「回り道だらけの洋服人生」を、順を追ってお話ししていきます。 第1回は、そのすべての始まりとなった幼少期のお話です。


◾️ 幼少期

私は1960年、東京・亀有で生まれました。
亀有と聞いて、すぐに『こちら葛飾区亀有公園前派出所』、いわゆる“こち亀”を思い浮かべる方も多いと思います。 まさにあの作品の舞台そのままの、下町情緒あふれる街でした。

ちなみに、掲載している写真は、小学校入学の頃に自宅近くで撮ったものです。 よく見ると、ダブルのスーツを着ています。

当時、叔母が洋裁を仕事にしており、おそらくこのスーツも仕立ててもらったものだと思います。 その叔母も、先日92歳を迎えました。

改めて考えると、6歳にしてすでにオーダースーツを着ていたわけで……。 今となっては、自分でも少し驚いています。

商店街があり、人の声があり、夕方になるとどこからともなく晩ごはんの匂いが漂ってくる。 今振り返ると、とても人間味のある、温度のある街だったように思います。

私の実家は、私が生まれて間もなくバーを開業しました。 当時はそのバーの2階が住まいで、いわば“職住一体”。 夜になると階下から人の話し声や音楽が聞こえてくる、そんな環境で育ちました。

流しの歌声が子守唄代わり……と言えたら格好いいのですが、正直なところ、その頃の記憶はほとんどありません(笑)。 ただ、不思議なもので、環境の空気感というのは、記憶がなくても人に残るものなのかもしれません。

幼少期

◾️ 実家の隣と隣は、洋服屋

そんな実家の立地が、私と洋服の縁を決定づけたと言っても過言ではありません。 というのも、バーの隣と、そのまた隣が、どちらも洋服屋だったのです。

片方のお店は「JUN」を取り扱い、もう片方は「VAN」。 今の若い世代には少しピンと来ないかもしれませんが、どちらも当時の日本のメンズファッションを語るうえで欠かせない存在です。 そう、アイビースタイル全盛の時代でした。

幼い私は、特別にファッションを意識していたわけではありません。 ただ、毎日のように目にする洋服。 それらが自然と、無意識のうちに刷り込まれていったのだと思います。

「三つ子の魂百までも」とは、よく言ったものですね。 今になって振り返ると、私の洋服好きの原点は、まさにこの環境にあったのだと感じています。


◾️ アイビーを知る

特に印象に残っているのが、VANを扱っていたお店です。 そのお店のこどもと年齢が近かったこともあり、小学校の頃はよく一緒に遊びました。 こども同士で遊びながらも、その子の家に遊びに行くと並ぶ洋服に目を奪われる――そんなことが日常でした。

休日には、お店の商品を見せてもらうこともありました。 今でもはっきり覚えているのは、整然と並ぶ洋服の数々。

革靴は「VAN」と「リーガル」のコラボによるローファーやタッセルシューズ。 シャツ、ジャケット、小物に至るまで、どれも当時の“正統派アイビー”そのもの。 また、ジーンズは「Canton」なんかも扱っていました。

もちろん、まだ子どもですからサイズが合うはずもありません。 実際に買えるものはほとんどなかったのですが、それでも「いつかこんな服を着たい」という憧れは、確実に心の中に積み重なっていきました。


◾️ ちょっと背伸びして

そんな中で、今でも鮮明に覚えている一着があります。 それが、ハーバードの真っ赤なVネックのカレッジセーターです。

当然、小学生の私には少し――いや、かなり大きめでした。 袖は長く、肩は落ち、まるで借り物のよう。 着ているというより、「着せられている」感覚だったと思います(笑)。

それでも、そのセーターを着ると、少しだけ大人になった気分になれました。 鏡の前でニヤニヤしていた自分の姿が、今なら容易に想像できます。

この頃からでしょうか。 「サイズが合う・合わない」ではなく、「好きかどうか」で服を見るようになったのは。


◾️ 初めてのジーンズ

そんな私が、初めて「自分の意思で」選んだ洋服。 それがジーンズでした。 当時は“ジーパン”と呼ぶのが当たり前の時代です。

選んだのは、ベルボトム、いわゆるラッパ型。 ブランドは「ビッグジョン」。 小学校の近くにオープンした「ジーパンセンター」という専門店で、人生初の一本を手に入れました。

今思えば、かなり時代を反映した選択ですね。
でも、その一本を履いたときの高揚感は、今でも忘れられません。
「自分で選んだ服を身につける」という体験が、こんなにも気持ちを変えるのかと、子どもながらに感じていました。


◾️ 少年時代の流行

小学校時代は、今以上に流行の移り変わりが早く感じられました。 特に印象的だったのが、ワンポイント入りのニットシャツです。

・ 「アーノルドパーマー」
・ 「マンシングウェア」
・ 「ゴールデンベア」

胸元の小さなマークが、なぜあれほど誇らしかったのでしょうか。 当時の私にはワニのマークといえば、「ラコステ」ではなく「クロコダイル」でしたが(笑)。

そのほかにも、
・ ダッフルコート
・ サファリジャケット
・ ランチコート
・ モヘアのアーガイルセーター

今振り返ると、小学生にしてはずいぶんと“通”なラインナップですが、当時の私は、その時代の空気を楽しんでいたのだと思います。


◾️ 雑誌の影響

バーの隣にあった、JUNを扱うショップも、私に大きな影響を与えてくれました。 当時のJUNは、今のイメージとは違い、かなりIVYテイストのラインナップをしていました。

そのお店の裏口には、『メンズクラブ』のバックナンバーがよく置いてあり、何度か譲っていただいたことがあります。 ページをめくるたびに広がる世界は、まさに別世界。 スタイリング、言葉遣い、写真の空気感――すべてが新鮮で、刺激的でした。

小学校高学年になる頃には、
・ コッパン(コットンパンツ)
・ レジメン柄ゴム×レザーのIVYベルト
・ マドラスチェックのボタンダウンシャツ
・ スウェットではなく“トレーナー”

そんなアイテムを身につけるようになっていました。 今思えば、かなり早熟だったかもしれません。

メンズクラブ

◾️ 消えていった街の洋服屋さん

そんな思い出が詰まったお店ですが、私が社会人になる頃には、すでに閉店していました。 ショッピングセンターや大型店の影響で、街の個人店が少しずつ姿を消していった時代です。

便利になった一方で、失われていったものも確かにありました。 あの店構え、あの匂い、あの距離感。 今ではもう、簡単には戻ってきません。

実は一昨日、6年ぶりくらいに、当時通っていた小学校の前を通りました。 原稿を書きながら、ふと足が向いたのです。

街は変わり、人も変わり、景色も変わりました。 それでも、胸の奥に残る感情は、驚くほど鮮明でした。 懐かしさと、少しの切なさ。 そんな感情が入り混じりながら、今この文章を書いています。

幼少期

◾️ さて、今回はここまで

第1回は、私と洋服の出会い、幼少期から学生時代の入口までをお話ししました。 少し長くなりましたが、ここまでお付き合いいただき、本当にありがとうございます。

次回は、いちばん多感だった中学・高校時代のお話です。 ファッションへの意識が一気に加速し、価値観が揺さぶられた時期でもあります。

どうぞ、次回もお楽しみに。
乞うご期待……。


【2025年12月18日】 ▶︎▶︎▶︎

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