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Textile Industry Column糸偏コラム:自由な視点
私の回顧録

2026.03.11:第85回 私の回顧録

グループ企業
〜リアルな仕入れの現場9〜

前回までのコラムでは、仕入れの現場についてさまざまな角度からお話ししてきました。

仕入れ計画の立て方、 計画の答え合わせ、 そして実際の発注に落とし込むプロセス。

売上や利益、在庫、さらには工場とのバランスなど、仕入れという仕事は実に多くの要素が絡み合っているということをお伝えしてきました。

そして、仕入れという仕事を語るうえで、もう一つ欠かすことのできない存在があります。

それが、 「仕入先」です。

どんな商品を扱うのか。
どんな会社と取引をするのか。

それによって、仕入れの世界は大きく変わります。

今回は、その「仕入先」というテーマについて、私自身の経験を振り返りながらお話ししたいと思います。

仕入先

◾️ 生地問屋としての10年

グループ企業で仕入れを担当することになった頃、私はすでに生地問屋として約10年ほどの経験がありました。

生地の仕入れや販売の流れ、産地との関係、商社との取引。 そうした基本的な部分については、ある程度経験を積んでいた時期です。

そのため、これまでお付き合いしてきた取引先との関係は、グループ企業に移ってからも引き続き続いていました。

ただ、組織の規模が変わると、仕入れの世界も変わります。

これまでとは違う新しい仕入先との関係も、少しずつ増えていきました。


◾️ これまでの主な仕入先

それまでの取引先の中心は、いわゆる
・ 生地問屋(羅紗屋)
・ 商社
・ 一部代理店
でした。

これは、生地業界では比較的一般的な流通構造です。

生地問屋や商社は、多くのメーカーの商品を扱っており、少量でも仕入れることができます。

特にオーダースーツの世界では、 1色1反単位 という比較的小ロットの仕入れが多いため、こうした流通の存在は非常に重要でした。


◾️ 機屋との直接取引が難しかった理由

一方で、織布メーカー、いわゆる 機屋 との直接取引は、当時それほど多くありませんでした。

理由はとてもシンプルです。

もちろん過去の実績は分かっていました。

ロットの問題です

機屋に直接発注する場合、どうしてもある程度まとまった数量が必要になります。

しかし、当時の仕入れは 1色1反単位 の仕入れが中心でした。

そのため、機屋に直接発注するにはロットが少なすぎて、取引が成立しにくかったのです。


◾️ 例外的な直接取引

もちろん、まったく取引がなかったわけではありません。

例えば、
・ ミニマムチャージを支払う
・ 別注でオリジナル生地を作る
・ メーカーのバンチブックから発注する
といった形で取引をすることもありました。

ただ、それはあくまで例外的なケースでした。

通常の仕入れは、やはり 羅紗屋や商社 を通す形がほとんどだったのです。


◾️ チェーン店の仕入れになると世界が変わる

ところが状況は大きく変わります。

グループ企業は、 20数店舗を持つオーダースーツチェーン でした。

つまり、その店舗の台所を賄う仕入れを担当することになったのです。

すると、当然ながら仕入れ数量も大きく変わります。

これまでの小ロット仕入れとは違い、 まとまった数量での仕入れ が可能になりました。

チェーン店

◾️ 機屋からのコンタクト

すると不思議なもので、状況が変わると向こうからも話が来ます。

何社かの織布メーカーから 取引のコンタクト がありました。

これは、やはり一定の仕入れ量がある企業でなければ成立しない話です。

そうして、機屋との直接取引が少しずつ始まっていきました。


◾️ 尾州という産地

もちろん、スーツ生地ですから産地は 尾州 です。

尾州は、日本を代表する毛織物の産地として知られています。

歴史も長く、技術力の高いメーカーが数多く存在しています。

私にとっても、尾州のメーカーとの関係は非常に重要なものでした。


◾️ 中国生地を扱うメーカー

取引を始めたメーカーの中には、 商社機能を持つメーカー もありました。

そこでは、中国メーカーの生地も扱っていました。

中国生産の生地は、やはり価格競争力があります。

コストを抑えるうえでは非常に重要な存在でした。


◾️ 出機を使ったメーカー

もう一社は、当時 出機(でばた) を使って生産しているメーカーでした。

出機とは、簡単に言えば 外部の職人が織る仕組み です。

この仕組みによって、比較的価格競争力のある商品を作ることが可能になります。


◾️ オリジナル生地の企画

そんな中、ある企画が持ち上がりました。

それは、 オリジナルのメイドインジャパン生地を作ろう というものです。

当時、店頭にはイタリアを中心としたヨーロッパの有名ブランドが揃っていました。

もちろんブランドの訴求力は強いです。

しかし同時に、 他社でも扱っている という問題もありました。


◾️ ブランド商品の弱点

有名ブランドは魅力的です。

しかし、その商品は自社だけのものではありません。

つまり、 競合店でも販売している 可能性があります。

そうなると、どうしても 価格競争 になりやすいのです。

この問題を解決するためには、 自社独自の商品 が必要でした。


◾️ 中国別注の限界

実は、中国ではすでに別注生地を作っていました。

ただし、中国生地の場合、 ブランディングが難しい という課題がありました。

そのため、一部を除き、 「オリジナル商品」 という形で販売していました。


◾️ メイドインジャパンという選択

そこで浮上したのが メイドインジャパン という企画でした。

日本製の生地を作り、それをブランドとして展開する。 そして生産地は、 尾州 です。

毛織物の産地として世界的にも知られる場所です。

織機の名前を冠したシリーズ

尾州には、昔ながらの伝統的な織機があります。

そこで、その織機の名称を取った シリーズ商品 を開発しました。

これは、ブランドとしても非常に分かりやすい企画でした。

尾州

◾️ 最初に依頼したメーカー

最初にお願いしたのは、もともと取引のあった尾州のメーカーでした。

そこは、 高品質の生地を作ることで有名な会社 でした。

品質は申し分ありません。

しかし、その分 単価が高い という課題がありました。


◾️ 取引先の変更

2〜3シーズンほど別注で生産していましたが、最終的には 価格の問題 で別の取引先に変更することになりました。

仕入れの世界では、品質だけではなく 価格とのバランス も非常に重要です。


◾️ 二番目の取引先

次にお願いしたのは、尾州の別のメーカーでした。

そこは 定番の無地シリーズ を得意としているメーカーでした。

担当の方には、毛織物について本当に多くのことを教えていただきました。


◾️ 中国展示会での再会

あるとき、中国の生地展示会に行った際、偶然その担当者と会ったこともありました。

海外の展示会で日本の取引先とバッタリ会う。

業界の狭さを感じる瞬間でもあります。

本当に、いろいろとお世話になりました。


◾️ さらに価格競争力のあるメーカー

その後、さらに 価格競争力のあるメーカー と取引することになります。

そこは、もともと 糸商 をしていた会社でした。

そのため、 糸のストックが非常に豊富 でした。

その結果、他のメーカーよりも圧倒的な価格競争力を持っていたのです。


◾️ 意外な縁

そして、この会社の社長とは 意外なところで繋がっていました。

実は、その社長は、私が以前仕入れをしていた会社に在籍していたことがあったのです。

しかも、その会社で私の担当だった方が 直属の上司 だったという話を聞いて驚きました。

世の中は本当に不思議なものです。


◾️ さらに驚いた出来事

さらに驚いたことがありました。

実は、現在私はその会社のお手伝いをさせていただいているのですが、その中で思いがけない出来事がありました。

ある日、社長ご夫妻と一緒に食事をしていたときのことです。

奥さんが私の名字について、 「同級生で同じ苗字の人がいた」 と言ったのです。

私の名字はかなり珍しいものです。

子供の頃、電話帳で調べたことがありましたが、同じ苗字は親戚くらいしかいませんでした。


◾️ 思いがけないつながり

さらに話を聞くと、その同級生の名前が 電話帳に載っていた親戚の名前 と同じだったのです。

驚いて出身地を聞くと、 東京の下町 でした。

そして話を進めていくと、 なんとその奥さんは 私の小学校と中学校の後輩 だったのです。

世の中の縁というのは、本当に不思議なものです。


◾️ 最終的に任せたオリジナルブランド

そんなご縁もあり、最終的には その会社にオリジナルブランドの生産を任せる ことになりました。

当時は出機を使っていたため、実際に織っている職人の方ともお会いする機会がありました。


◾️ 80代の職人

その職人の方は、 80代半ば と聞いていました。

長年織物に携わってきた方です。
その姿を見ながら、 「この技術はいつまで続けられるのだろう」 という不安も感じました。


◾️ 出機職人の高齢化

後にメーカーの社長から聞いた話ですが、 その当時、出機で織っている方の多くは 70歳以上 だったそうです。

織物の世界も、後継者問題が深刻でした。


◾️ 出機職人の高齢化

後にメーカーの社長から聞いた話ですが、 その当時、出機で織っている方の多くは 70歳以上 だったそうです。

織物の世界も、後継者問題が深刻でした。


◾️ その後の変化

その後、そのメーカーは 自社で織機を所有するようになりました。

そして現在も生産を続けています。

私自身も、ご縁があり、今もその会社のお手伝いをさせていただいています。


◾️ 織機を未来へ

尾州の織機は、本当に素晴らしい織機です。

この織機で作られる生地を、少しでも多く世の中に届けたい。

そんな思いで、今も関わらせていただいています。


◾️ 次回予告

今回は、仕入先との出会いについてお話ししました。

仕入れという仕事は、 商品だけではなく、人とのつながり でもあります。

今回お話ししたのは、そのほんの一部です。

次回も引き続き、 仕入先の話 についてお伝えしたいと思います。

どんな出会いがあり、どんな取引があったのか。

リアルな仕入れの現場の話を、もう少し続けていきたいと思います。

次回もぜひお付き合いください。



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