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Textile Industry Column糸偏コラム:自由な視点
私の回顧録

2026.01.04:第19回 私の回顧録

私の見てきた1990年代
〜業界の過渡期〜

みなさん、こんにちは。
いつもTexStylistの「糸偏コラム」を読んでいただき、ありがとうございます。

今回は少し視点を引いて、私自身が現場で見てきた「1990年代の洋服業界」について振り返ってみたいと思います。 バブル経済の熱が徐々に冷め、社会全体の価値観や消費のあり方が大きく変わり始めたこの時代は、ファッション業界にとっても明らかな転換期でした。

当時は、その変化を「時代の節目」として意識していたわけではありません。 ただ、日々の商談や売り場の空気、取引先の表情、数字の動きの中に、これまでとは違う違和感や揺らぎを感じる場面が、確実に増えていったのです。

この回では、私自身の体験を交えながら、1990年代という“過渡期”の私が関わっていた業界がどのように変わっていったのか、お伝えしていきたいと思います。

過渡期

◾️ 静かに広がっていった、業界のざわめき

業界は、ある一定のリズムで常に動いていました。 展示会、商談、次シーズンに向けた企画会議――。 表面的にはこれまでと何も変わらない日常が、淡々と繰り返されていたように思います。

私自身は、まだ若さもあり、どこか楽観的でした。 「なんとかなるだろう」「やるしかない」 そんな気持ちで、目の前の仕事に向き合っていたのを覚えています。

ただ、その一方で、業界全体には説明しきれない違和感が、静かに広がり始めていました。 売り場での動き、数字の出方、バイヤーの表情、商談の空気――。

以前と同じやり方をしているはずなのに、何かが噛み合わない。 その小さなズレは当時、はっきりとした形を持っていたわけではありません。 けれど後になって振り返ると、それこそが時代の流れが変わり始めたサインであり、やがて大きなうねりとなって業界全体を包み込んでいったのだと気づくのです。


◾️ しまむらの衝撃

私の直接の担当ではありませんでしたが、何度か本社商談に同行する機会がありました。 そう、埼玉県に本拠地を構える「ファッションセンターしまむら」です。

今でこそ、ユニクロの次に売上の大きい存在ですが、当時はまだ「安いけれど、本当に大丈夫?」と、主婦層の間でも半信半疑に見られていた時代でした。

ところが、その実態を知るにつれ、その評価は一変します。

まず驚かされたのが、バイヤーの若さ。 大学を卒業して数年、20代半ばで重要な売り場を任されている。しかも、2年ほどで担当部門を異動し、次々と新しいジャンルを経験していくのです。

これは、今で言うところの「ゼネラリスト育成型」。 一つの分野を極めるというより、全体を俯瞰し、変化に素早く対応できる人材を育てる仕組みでした。


◾️ “安さ”の裏側にあった仕組み

さらに衝撃だったのが、その低値入れ率。 簡単に言えば、「とにかく安く仕入れて、安く売る」。

「これで利益が出るのだろうか?」 思わず心配になるレベルです。

しかし、そこには明確な答えがありました。 徹底した数量、徹底した物流管理、そして自社で完結するシステム。

物流を外部任せにせず、自前で管理することでコストを抑え、スピードを上げる。 その結果、消費者にとっても、取引先にとっても魅力的な存在になっていく。

この仕組みは、当時の私にとって衝撃であると同時に、「時代が変わり始めている」という実感を強く感じました。


◾️ 隣の芝は、やっぱり青かった

商談を終え、明るく開放的なしまむら本社を後にするとき、私は思わず目を細めました。

「すごい会社だな……」

一瞬だけ、「もしここに深く関われていたら、どんな景色が見えただろう」と、そんな妄想が頭をよぎったのも事実です。

とはいえ、当時の私は“長崎屋班”。 与えられた場所で、与えられた役割を全うするしかありませんでした。

隣の芝は青い――。 それは、今も昔も変わらない真理かもしれません。

隣の芝は青い

◾️ GMS(総合スーパー)の冬の時代

一方で、私が深く関わっていたのは、しまむらとは対照的な立ち位置にあった「長崎屋」でした。

そこには、長年現場を見続けてきた熟練のバイヤーやディストリビューターが揃っていました。

まさに「この道一筋」。 数字の読み方、売り場の作り方、取引先との駆け引き……。その一つひとつに重みがあり、新参者だった私は、常に背筋を伸ばして商談に臨んでいました。

しかし、時代の波は容赦ありません。

2000年2月、長崎屋は約3,000億円の負債を抱え、会社更生法の適用を申請。 いわゆる「長崎屋ショック」です。 私が長崎屋の担当をしていた会社を退社した後、数ヶ月後のことです


◾️ 次々と姿を変えていく流通の雄たち

その後も、ダイエー、マイカル、ユニー、西友……。 かつて日本の流通を支えてきたGMSが、次々と業態転換や事業縮小を余儀なくされました。

売り場の空気が変わり、店舗の表情が変わり、働く人の表情も変わっていく。

「ずっと続くものはない」

そんな当たり前のことを、これほどリアルに突きつけられた時期した。


◾️ 企業文化が未来を分ける

しまむらの「若さと柔軟さを武器にした組織」。 長崎屋の「経験と専門性を重んじる組織」。

どちらが正解、という話ではありません。 ただ、その文化の違いが、変化への対応力やスピードに差を生んでいったのは事実だと思います。

価格設定、物流、商品構成、店舗運営。 洋服は、決してデザインだけで成り立つものではありません。

“仕組み”が、結果を左右する。

この時代に得た気づきは、今の私の考え方の土台になっています。


◾️ ゼネラリストとスペシャリストの狭間で

若さゆえに広く経験を積むのか。 一つの道を深く掘り下げるのか。

90年代は、その選択を迫られる時代でもありました。

私自身も、「このままでいいのか?」と、自分に問い続けていたように思います。

ゼネラリストとスペシャリスト

◾️ ひとつの時代の終わり

ちなみに、当時私が勤めていたインナーメーカーも、その後ひっそりと廃業したと聞きました。

バブルが終わり、GMSが陰りを見せ、業界全体が大きく揺れ動いた90年代。

それは、間違いなく“ひとつの時代の終わり”でした。


◾️ 終わりは、始まりでもある

けれど、終わりは同時に始まりでもあります。

この波乱の90年代を通じて、私は多くの現実を見て、多くの人と出会い、そして多くのことを学びました。

「洋服とどう向き合って生きていくのか」

その答えは、すぐには出ませんでしたが、確実に心の中で形を成し始めていたのだと思います。


◾️ 次回予告:再び、職探しへ

次回は、再び“職探し”のお話です。 転職活動にまつわるドタバタ、思わぬ出会い、そして現実の厳しさ……。

時代の風に吹かれながら、前髪を振り乱しつつ(?)、次の一歩を探していたあの頃。

果たして、次に私を待っていたのはどんな職場だったのか。 どうぞ、次回もお付き合いください。



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